37歳。

Hand

コロナ禍で入園式も登園自体も延期に。自分の誕生日当日はその社会の不穏な空気に気をとられて年記を書くのを忘れていたので、書いているのは息子氏4歳の誕生日。登園にも慣れ、父も母も知らない時間が少しずつ増えてきた。もうしばらくしたら、そんな時間のほうが長くなるのだろうか。

去年仕事場を変えて丸一年。自分のタイミングとしても、多分相手のタイミングとしても、そして社会の状況から見ても、ちょうど良いタイミングだったのではないか、ちょうど良いタイミングだったと言えるように出来たのではないか、と思う。

自分から変わりたいと思って行ったので、変化は基本的に受け入れるという前提だったのが、結果的にはプラスに働いたように思う。少し回り道をしているように見えて、やりたかったことに近づいている感触を持っている。それに加えて、その回り道の中で思ってもいなかった出会いもあり、あとから振り返ればその人との出会いは自分にとってとても大きな出来事だった、という事になるのではないかと思う。

自分がまだやった事がなかった新しい事に正対し、出来ない事を認めることになるかもしれないという恐れを乗り越えて取り組み、出来たときの喜びは大きい。そしてそれと同じかそれにも増して、息子氏や一緒に働いている若いスタッフが、今まで出来なかった事が出来るようになっていく姿を見るのもうれしい。自分もまだまだ出来る事を増やしていきたいが、彼らを肩車して僕では手が届かなかった所に手をかける手助けが出来たら良いなというような想いが、少しだけ芽生えてきた。悲観せず、楽観せず、達観せず。淡々と、眈々と。

36歳。

Head

なかなか喋らないな…。と少し心配していたことも忘れていたぐらい、よく喋るようになった。最初は単語ひとつ、次に単語ふたつ、そして今は、よく使う言葉なら接続詞も挟んでくる。数字も、いち、にー、さん、ごー、と時々抜けながらも、20ぐらいまで数えていたりして、こっちがびっくりするぐらい。

その過程も、人はこういうステップを踏んで物事を覚えていくのかと、見ていておもしろい。おおざっぱな区別から、細かな区別になり、その一つ一つに別のものが紐付いていく。赤系と青系という区別が、赤とピンクを区別し、赤はイチゴや信号、という具合。言葉や名前は、人にものを伝えるための区別をしているのだと、再認識。

「とと」と言えずに「ここ」と言っているけれど、たしかに「と」は口の形だけではなくて舌も動かさないといけないので、なるほど言いにくいのだなとふむふむ。1・2度行っただけの床屋もよく観察していて、ごっこ遊びはその特徴を捉えていて面白い。毛布好きは父譲りか。

36歳、いのしし年の年男、社会人歴20年、今の会社で丸10年と、なにかと区切りの重なる今年。自分から仕事場を動く事にした。今の会社に不満は無く、新しい会社への不安はあるが、それは新しい事に取り組むために自分から作ったもので、それ以上の楽しさも一緒にある。早速先手を打てたという兆しもあった。悲観せず、楽観せず、達観せず。淡々と、眈々と。

35歳。

Head

最近は、年齢という言葉の指すものが、自分の年齢のことではなく、こどもの年齢のことになった。自分の年齢を数え意識することがほとんどなくなり、こどもの年齢で物事を考えることが増えた。何年後、こどもが何歳で、その時自分は何歳、というぐらいの意味合いになってきた。

毎日撮っている写真のアーカイブが、ときどき去年の今日の写真を見せてくれる。1年前は、やっとイスに座れていたのが、うつぶせ、ズリバイ、ハイハイ、つかまり立ち、歩き、そして最近は走るようになった。カメラのレンズは標準から広角になり、写真よりも動画を撮ることが増えた。

言葉はまだ話さないけれど、意思疎通は十分できる。こちらの問いかけには、首を縦に振って「うん(YES)」か、横に振って「んー(NO)」で答えてくれるし、むこうの言いたいことも、ものを持ってきたり、指を指したり、ジェスチャーゲームみたいな感じで大体通じる。

いままでは部屋や建物の中で遊ぶことがほとんどだったけれど、歩き走れるようになるといよいよ外で遊べるようになってきたし、本人も外に行きたがる。歩けるようになったのが冬頃で、今年は大雪の年だったこともあり、僕はまだあまり外で遊べていないから、いろいろと一緒に出かけたい。

34歳。

Hand

こどもが産まれてはや8ヶ月。真夜中の電話には気づかず、朝方の電話でやっと気づき、そわそわしながら病院へ。昼過ぎに声を聞きその姿を見た時は、喜びや驚きももちろんあったけれど、安心という気持ちの方が大きかった。一番最初に、母となった妻に名前を呼びかけてもらい、ぼくも彼の名前を呼んでみた。あたたかい台の上で寝転んでいる彼と、ちょっとだけ目があったような気がしたのは気のせいか。

寝てばかりだったのが泣くようになり、起きて目を開けている時間が増え、腕や顔を動かすようになり。泣き声や動きが大きくなり、手には力がこもり顔には表情が出て、目で追っていたのが顔で追うようになり。うつぶせだったのが寝返るようになり、手や足をバンバンと動かすようになり、同じ場所でくるくると回転できるようになり。もうちょっとで、なにかしゃべりそうな気配。毎日同じようなことを繰り返しながらも、毎日ちょっとずつ変わっていっている。

あれをしてあげよう、これをしてあげようと思いつくことの多くが、ふと思い返すと自分が親からしてもらったことだと気づく。彼にとってもいつかそういう日がくるのかしらと気の早いことを考えたりもする。これまでの30年近くをかけて親にしてもらったことや自分でしてきたことを、今度は親の視点になって、また30年近くをかけて彼としていく。そういう繰り返しなのかなと思う。

どんな声で話すのだろう、どんな言葉を話すのだろう。なにを見るのだろう、なにを聞くのだろう。なにをするのだろう、なにをしてくるのだろう。僕が今している仕事は僕が産まれたときにはなかった仕事であるように、彼がこれからすることは今はまだ生まれていないことなのかもしれない。できることならそれを見つける手助けをして、なにをするのかを見ていけたらいいなと思う。親の子であり、妻の夫であった自分に、彼の父という関係が増えた。手を繋ぐ人が、離してはいけない手が、またひとつ増えた。

33歳。

Sky

家庭が少し安定したと思ったら仕事が忙しくなり、仕事が落ち着いてきたと思ったら家庭が慌ただしくなり。一難去ってまた一難。なかなか落ち着けない日々ではあるものの、うまくばらけて、複数の事が同時に起きていないとも言えるわけで、そう考えたら「まあいいか」と思うに至る。

ひとつひとつの事に一喜一憂していると疲れてしまうけれど、感情の起伏を極力押さえようとすると、それはそれで気が張り詰めてしまう。こんな事を客観的に書けるのはその最中を過ぎたからで、その真っ只中にいるときは、自分の気が張っているという事に、気づけなかったりする。

結婚してしばらくした頃に、年齢を3で割るという話を知った。今日33歳になった僕の場合であれば、33を3で割ると11という数字になる。それは、人の一生を1日24時間と考えた場合の、現在時刻なのだそうだ。72歳で24時に至る計算ですが、今の日本人男性の平均寿命は80歳なので、ちょっと早回しか。

この辺の感覚は人によるのでしょうが、33歳と捉えると「もう」という気がするけれど、11時と捉えると「まだ」という気がする。まだ、昼にすらなっていない。午後も、夜も、長生きしたら夜更かしもある。悲観せず、楽観せず、達観せず。淡々と、眈々と。

32歳。

Shadow

普段30代後半風の気分で暮らしているので、まだ32歳かというのが32歳初日の印象。20代の頃は早く30代になりたかったけれど、今は今でもっと早く歳を重ねたいと思っているので、この感覚はずっと続くのでしょうか。結婚から丸3年が経ち、現在4年目。この人で良かったと思えることが増えているので、この感覚はずっと続くようにと願う。

仕事は、最終的に形になるものは同じなんだけれど、それに対する関わり方にまた少し変化が出てきた。一番最初はコーディング、次にデザインに行き、設計に行き、ディレクションへ。コーディングから数えると15年、傍から見るとずっと同じ事をしているように見えると思うけれど、僕が見ているものは結構変わっている。

そういう意思を持って進んできた訳ではなく、振り返ってみたらという後付けですが、ある所でいろいろとやっているうちに、その限界や根本的な所はそのひとつ上というか前にあるのではと感じ、そこに進んでみる、という事の繰り返し。上流というのか、源流というのか、そういう方へ、そういう方へと。

20代は何も持たないぶん、程度の差こそあれ何をどうやっても何かしら成長出来てしまう。30代は、専門性の高まりから視野が狭くなってしまったり、実績が自信やプライドに変化し素直さや柔軟さが失われたり、現場を離れがちになり汎用性のない社内向けのスキルが増えてしまうように思う。ただ、15年続けてきたから見える景色もたしかにあり、それは途中で辞めていたら見えなかった景色なので、この先にはまた今とは違った景色があるのかなとちょっと期待をしながら、初めて経験する33回目の1年間を、過ごしていこうと思った。

31歳。

MASUNAGA TOKI TK-8610 #35 DBL

日記というよりも、年記になってしまったこのブログ。30歳になるまでは、いよいよ自分も三十路へ突入かと意味も無く緊張したものの、なってすぐは自分が30歳という実感が全く無かった。それが31歳が近づくにつれてだんだんと、自分が30代だと感じることが増え、1年かけて30代になったという感じがする。

結婚から丸2年が経過し、現在3年目。1年目は、目まぐるしく変わる環境や生活の変化に適応していくので精一杯という感じだった。2年目は、それらが少しずつ落ち着いてきたので、自分なりの生活サイクルや習慣を固める事に注力し、とにかくそれ以上変化する事を嫌う時期だったように思う。

それがまた昨年末あたりから、いろいろと変わりたい・変えたいと思うようになった。地が固まったからといえば、そうなのだろうと思う。年始めからネット系の勉強会やセミナーに積極的に参加したり、仕事ではこれまであまりやらなかった部分にフォーカスしたりと、些細なことだけれど少しずつ行動している。

そんな一環で、メガネを変えた。たいした顔はしてないと自分でも承知はしているものの、メガネは人の印象となる顔の一部であり、男性がフォーマルな場でも身に着けられる数少ないアクセサリーのひとつであり、人がインプットする情報の大部分を占める視覚を補助する医療器具でもあるので、かなり拘りがある。31歳はこのメガネと共に、新たな視野でやっていこうと思います。

30歳。

Old Fashion Glass

WebLog始めました」というエントリでブログを書き始めたのが2003年の8月なので、もうすぐ10年になる。当時20歳だった僕は、今日30歳になった。20歳当時に住んでいた柏崎から、金沢、福井、東京と移り住み、そしてまた福井に戻ってきた。この10年の間に、転職し、結婚し、手術し、喫煙して禁煙もし、10年前と変わっていない所の方が少ないのではないか、と思ってしまうぐらいの時間が流れた。

前述の初投稿エントリでは、「でもやっぱり、このテキストは何の役に立つんだろう?という謎は晴れず。」と結んでいた。当時は自分でMovable Typeをインストールし、その動作テストも兼ねて書いていただけで、一個人がネットに向かって言葉を発していく意味など分からなかったけれど、今ではブログサービスもあるしTwitterもあるしFacebookもあるしで、ごくごく普通の事になった。

ここ数年はTwitterやFacebookに書き込むようになっていたので、2010年あたりからブログの更新頻度はさっぱり減ってしまった。それが今になってまた再開させようとしているのは、書き込むのは一瞬だけれど流れていくのも一瞬なTwitterやFacebookといった場所ではなく、自分が生きている限りは継続される場所に、きちんとストックしておきたいと思うようになったから。

「でもやっぱり、このテキストは何の役に立つんだろう?という謎は晴れず。」と言っていた10年前の自分の「謎」に答えるとするならば、10年かけて書いてきた1,143エントリは、今見返すと文章や内容や考え方が赤面物だったり、月ごとのエントリ数がその時の孤独具合を表していたりもするのだけれど、それら一つ一つのエントリにはたいした意味はなくとも、全てがまとまった時に見えてくるその変遷には、今後も継続しておこうと思う程には意味があると思うよ、と答えておく事にする。

過去のエントリは「iwalog@2003-2012 Archive」として残しておくことにした。赤面物の10年分のエントリを背後にしながら書いていくのは気が引けるが、完全に無かった事にすることも出来ないので、切り分けて保存しておく、という事にした。